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愛が対象を独占したいという 感情だと思われるようになったのは、 一体いつ頃からのことなのでしょうか?

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私たちは同時に幾種類もの花を愛し
ブランデーとスコッチを同じように嗜み
そしてピンクフロイドとショッキングブルーと
浅川マキを同じように熱中できるのに、
AとBという二人の男性を同時に同じように
愛することは出来ないと思われています。
しかし、それは嫉妬の問題があるからなのです。



愛が対象を独占したいという
感情だと思われるようになったのは、
一体いつ頃からのことなのでしょうか?
所有(私有)し、意のままにする、という関係の持続は、
実は愛とは全く別の、ただの人間関係のエゴイズムなのではないのかな。



実現について論じることと、感情を吟味することとは
同じことばではできない。
いっさいの実現行為は、思想や情念をバネとして
ひきおこされることになるが、
実現されたときには
それはもう感情そのものではない。
それを混同してしまいから、
さまざまの行動、そして制度化された約束事までも
すべて
「愛しているから」などということばで
大義名分化されることになる。

愛情は、虚構です。
それは、つかまえどころのないものであり
それを数える事も測る事もできない。
それを多くもつことのできる人は
心の「財産目録」がゆたかになるということになる。

だが、結婚や同棲は生活です。
それは、実態であり、
(もしも、一夫一婦制を身にひきうけて、実現してしまったなら)
二人の関係の中に
二人だけの政治
二人だけの経済
二人だけの福祉と保護といったものをもつことを要求される。
私は「二人だけ」というところが気に入りませんが
それでもそのことと「愛情」とは
べつの用語で語られなければならないということを知っている人を、
少しは信用してもよい、と思うのです。

(寺山修司「さかさま恋愛講座・青女論」より)

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こないだの大きめの地震があったせいで
私のこのバイブルが本棚から転がってしまっていた。
多忙な日々なんてお構いなしに
久しぶりに手にとって一番好きなここのリリックを読んで
全身がしびれるくらいの感覚になる。

愛しているって何だろね?
近頃そういうのが面倒だ。
誰かから熱烈に想われているとか
誰かを熱烈に想っているとか
私はそういうの向いてないみたい。

好きな人がいなくたって
好きな人がたくさんいたって
何だっていいや

そんなことより
音楽に夢中だったり
仲間とのおしゃべりに夢中だったり

と、書いて煙に巻いておく。
by lefthandedcoconut | 2012-12-11 23:53 | the sixth
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